朝、流水溝の入口で配車サービスの車を待っていました。スマートフォンで車の経路を見ていると、左側から誰かにそっと触れられました。
驚いて、反射的に身を引きました。振り返ると、高齢の女性でした。
「すみません、二六六病院行きのバス停は、どちらですか」
二六六病院は、今の九八一病院の昔の名前です。懐かしい呼び名を聞いて、この辺りの方なのだろうと思いました。
ネットで高齢者にまつわる否定的な話をよく目にするせいか、まだ少し警戒しながら、その方の様子を見ました。
黒い布靴に灰色のズボン、薄い赤の上着。古い布袋を肩にかけています。身なりは清潔でしたが、服は洗い込まれて白っぽくなっていました。特に赤い上着は、白い繊維が地の色から透け、淡いピンク色になっていました。
髪は無造作にまとめてありましたが、乱れてはいません。目が青白く濁っていて、足元の道がよく見えていないようでした。
警戒する気持ちは、だいぶ薄れました。
ただ、二六六病院へ行くにはどのバス停を使うのか、私にも本当に分かりませんでした。その日はグループの四半期会議で、朝から会社で準備することがたくさんありました。
「この先が火神廟で……」と静かに言うと、
「火神廟の交通詰所ですか」と返ってきました。
一瞬、言葉が止まりました。火神廟の交通詰所といえば、私の記憶では小学生の頃までさかのぼる名前です。
「いえ、この先の康熙帝の銅像です。交差点を右に曲がると、少し先に大きなバス停があります。そちらへ行って、もう一度聞いてみてください」
「ありがとうございます。お金に恵まれて、長生きなさいますように。百歳まで生きられますように」

AI生成の挿絵です。現場の写真ではありません。
胸が痛くなりました。
一人で道を尋ねる姿を見て、自分の家族、そして将来の自分を思いました。誰にでも、年を取る日が来ます。
その方は何かつぶやきながら、一歩ずつ探るように進んでいきました。後ろから見つめる私の中には、さまざまな思いがありました。
前方には、歩道に設置された駐車場の遮断棒がありました。近づいて、このままではぶつかりそうです。すぐ横の歩道上を、車もかなりの速度で通っていました。
見ていられず、足早に追いかけ、体を支えて遮断棒と車を避けました。その方は戸惑い、私について足を動かすのも大変そうでした。何度か左右に動いて、ようやく点字ブロックの近くまで案内できました。
「ありがとうございます。お金に恵まれて、長生きなさいますように。百歳まで生きられますように」
何十年も前の記憶を頼りに、今の道を、一歩ずつ確かめながら歩いている。その繰り返される言葉は素朴で、真剣でした。その方が思いつく、精いっぱいのお礼だったのかもしれません。
「どういたしまして。ゆっくり気をつけて」
私は戻りながら、数歩ごとに振り返りました。その方は変わらず一歩ずつ、ゆっくり遠ざかっていきました。
会社に着くと、何度も手を洗いました。私は少し潔癖なところがあり、人に触れた後に手を洗うのは習慣です。洗い終えても、足元を探りながら歩く姿が頭から離れませんでした。
バス停まで送り届けたわけでも、最後にどのバスへ乗れたのかを確かめたわけでもありません。ただ、目の前の一つの障害を避ける手伝いをしただけです。
できる範囲で、ということでしょうか。
それでも、この小さな出来事が心に残りました。
私たちは普段、足早に歩きすぎて、歩道上の駐車場、行く手を遮る棒、点字ブロックが途切れずに通れるかどうかに、あまり気を留めません。横断歩道で少し歩みが遅いだけで、クラクションに何度も急かされる高齢の方にも。
私も、いつも通る場所です。今日、その方と数歩動いてみて初めて、ほんの短い道が、こんなにも歩きにくいのだと感じました。
高齢化社会を語るとき、最後にはこうした具体的な問題に向き合うことになります。どこでバスを待つか。どう障害物を避けるか。青信号の間に渡り切れるか。道がよく見えない人が一度外出するだけで、こうした場面に何度出会うのでしょう。
日本の大学院で学んでいた頃に気づいた、障害のある方への配慮も思い出しました。その意味が、今はより具体的に感じられます。よく見えない人や動きにくい人が、少しでも心配を減らして、一人で外出できるようにすることです。
午前中には、まだたくさんの仕事が待っていました。それでも「百歳まで」という言葉が、ずっと耳に残っていました。
私たちも年を取り、歩みが遅くなり、目が見えにくくなったとき、安心して道を歩けますように。