先日、子どもの頃からの友人たちと食事をしました。
いつの間にか、避暑山荘にあった象の滑り台の話になりました。
何人かが、ほとんど同時に言いました。
「あの象の滑り台、覚えているよね?」
もちろん、覚えています。
話し始めると、ぼんやりしていた光景が、一気によみがえってくるようでした。
山荘には、児童遊園があった
今の若い人には知らない方もいるでしょうが、かつて避暑山荘には児童遊園がありました。
月へ向かうロケット、象の滑り台、シーソー、回転椅子、回転するドラム……。
隣には動物園もありました。
当時、承徳で育った子どもにとって、避暑山荘は教科書に出てくる「皇帝の庭園」というだけの場所ではありませんでした。
私たちにとっての、身近な公園でもあったのです。
春の遠足、週末、親戚が遊びに来たときにも、よく行きました。
数角の小銭と、何袋かのお菓子があれば、それだけでうれしかった。
私たちの世代に、児童遊園で一番印象に残っているものを尋ねれば、多くの人が似た答えを返すと思います。
月へ向かうロケットと、あの象の滑り台です。

動物園の動物たちの話だけでも、長く話せそうです。何が飼われていたか、どの檻がどこにあったか、子どもの頃に何が怖かったか。コメント欄で少しずつ思い出をつなぎ合わせられるかもしれません。
私たちは、山荘の近くで育った
私は南営子小学校に通っていました。
双橋区の子どもたちにとって、春の遠足先の選択肢はそれほど多くありませんでした。避暑山荘は、特によく行く場所の一つでした。
大人には史跡を見学する場所でも、子どもにはまったく別の世界でした。

どこで走れるか。動物はどこにいるか。滑り台はどこか。お菓子はどこで買えるか。関心があったのは、そんなことです。
文園獅子林にも、特別な記憶があります。小学生の頃、修復・復元のために学校で寄付を集めたことを覚えています。何年だったか、いくらだったかは曖昧ですが、おそらく1、2元ほどでした。
振り返れば、古い建物は世代から世代へ守り継がなくてはならないのだと、初めて気づいた機会だったのかもしれません。
やがて、児童遊園は姿を消した

1994年、承徳の避暑山荘と外八廟が世界文化遺産に登録されました。
それ以降、世界遺産として広く知られるようになりました。承徳のものであると同時に、世界のものになったのです。
子どもの頃に親しんだ遊具や動物園など、文化財の景区としての役割に合わない施設は、順に姿を消していきました。
文化財保護の観点からは、避けられないことだったのでしょう。それでも承徳で育った子どもとしては、少し寂しさが残ります。
消えてしまうと、もう見つからないものがあります。
あの象の滑り台も、その一つでした。
もう一度「作って」みたかった
この数日、夜になるとネットで資料を探しました。

古い写真を探し、以前の画像を見返し、もとの姿を懸命に思い出しました。
資料は多くありません。細部の多くは、記憶から少しずつ組み立てるしかありませんでした。
そこで、AIであの風景を再現してみることにしました。まず象の滑り台を、そして周囲の環境を、少しずつ補いました。

遠くには、当時の青少年宮、避暑山荘の宮殿一帯の建物があります。
中央の花壇には、多くの人が覚えている「小蘿蔔頭」と呼ばれた幼い烈士、宋振中の像があります。小さな子が両手で蝶を包み、遊ぶ子どもたちを静かに見つめていました。
今思えば、それも一つの追悼だったのでしょう。
その手前に、数え切れないほどの子どもたちが遊び、表面がすり減った象の滑り台がありました。
主題を際立たせるため、滑り台は手前に置きました。当時の大きさの比率や位置に完全に一致しているとは限りません。それでも、ひと目見た人が、すぐにこう思ってくれることを願いました。

「そう、これだ」
15秒のために、4、5時間
静止画を動画にすると、別の問題が出てきました。
AIが人の動作や建物の形を勝手に変えてしまうのです。滑り台が変形し、像が動き、子どもの手足にも奇妙な変化が起きました。
生成後はFinal Cut Proに取り込み、一コマずつ細部を調整しました。
完成した動画は、わずか十数秒。資料探し、画面の再現、動画生成、仕上げまで、4、5時間ほどかかりました。
出来上がったものをWeChatの動画チャンネルに投稿しました。

自分の記憶を残したかっただけでした。それが、思いがけず再生数を伸ばしていきました。
みんなが覚えていたのは、同じ場所だった
何より心を動かされたのは、再生数よりもコメントでした。
子どもの頃、ここで遊んだという人。ロケットを覚えている人。動物園を思い出す人。学校の遠足はここだったという人。

80歳の方も、長い思い出を書いてくださいました。私たちとは違う時代なのに、学校、先生、遠足、小銭、何袋かのお菓子と、同じ懐かしいものが語られていました。
小さな児童遊園がつないでいたのは、一世代だけではなかったのです。何世代もの承徳の子ども時代でした。
当時の子どもたちは、今や北京、上海、広州、深圳、さらには海外へと散らばっています。退職した人、働き続ける人、子どもがもう大人になった人もいます。
それでも画面に象の滑り台が現れると、何十年もの時間が十数秒に縮まったようでした。
みんな、一瞬で子どもの頃に戻ったのです。

AIの面白さは、こんなところにもあるのかもしれない
AIの話題は、効率、生産性、代替、変革が中心です。でも、この動画を作って、別の価値にも気づきました。
消えてしまったものを、もう一度見せてくれることです。
きちんと撮影されず、高画質の映像もなく、資料さえ見つけにくい風景が、数枚のぼやけた写真、文章、人々の記憶から、少しずつ姿を取り戻します。
もちろん、本物の歴史映像ではありません。そう扱うべきでもありません。
それでも、「記憶の再現」にはなります。
画面が動き始めるとき、取り戻しているのは滑り台だけではないのかもしれません。ある午後、春の遠足、小銭で買ったお菓子、そばで待つ父や母、そして永遠に続くと思っていた子ども時代も。
今の避暑山荘は、世界各地から人々が訪れる世界文化遺産です。
でも、多くの承徳の人にとって、もう一つの顔があります。子どもの頃の公園、春の遠足先、何世代もの子どもたちに共通する風景です。
今どこに暮らしていても、どれほど遠く離れていても、あの山荘と庭園は、時と距離を越えて私たちをつないでいます。
消えてしまっても、ずっと記憶に残る場所があります。
